石山寺。自然の造形の前では、国宝(多宝塔)であっても霞んで見える。

 

 

 

近江八景を知ることは「見立て」「遊び心」の系譜を知ることである。これが面白くなかったら、何が面白いのか。子供のころの「○○ごっこ」は「見立て」の準備だったのだ。

 

  1. 瀟湘八景(1112世紀)

  2. 近江八景(15961615年)

  3. 金沢八景(1694年)

  4. 水戸八景(1833年)

  5. 江都八景(1852年頃)

  6. 名所江戸百景(18561858年)

 江戸期に流行した「八景物」は、もともと中国の北宋時代に成立した画題である「瀟湘八景」に倣った浮世絵である。

 

元となった瀟湘八景とは、中国の山水画の伝統的な画題。またその八つの名所のことである。中国湖南省の洞庭湖と流入する瀟水、湘水の合流するあたりを瀟湘といい、古来より風光明媚な水郷地帯として知られる。北宋時代の高級官僚・宋迪(そうてき)はこの地に赴任した時、この風景を山水画として描いた。後にこの画題が流行し、やがて日本にも及んだ。

 

「瀟湘八景」に固有の土地の名称がほとんどなかったことが、日本で「見立て」「遊び心」と結びつき、様々な「八景物」が生まれる要因となった。歌川広重は「八景物」を得意とし、晩年には遺書代わりに「名所江戸百景」を描いている。

 

石山秋月

「瀬田の唐橋」の方向は北なので、実際には月は出ないが、広重には見えるようだ。広重は「近江八景」を生涯で27種類手がけているという(大津市歴史博物館)。

 

瀬田夕照

帆掛け船が観光船に変わっている以外は、唐橋の雰囲気も浮世絵に似ている。

五月雨に隠れぬものや瀬田の橋 (松尾芭蕉)

 

粟津晴嵐 1

右手に粟津中学校があるのだが、なぜ「粟津晴嵐中学校」にしなかったのか、不思議に思う。通りすがりの旅の者の感想なので、気にしないで下さい。

 

粟津晴嵐 2

2014年10月2日、茶色く枯れた高さ約15メートルの黒松が切られた。残りの松は3本だという。

やはり中学校の名称が「粟津晴嵐」なら、黒松並木は残されたのではないだろうか?

 

矢橋帰帆

右手に埋め立てによる「矢橋帰帆島」がある。1982年に下水道浄化センターとして運用が開始された。

帆がない船が一艘だけ何か調査をしている様子だった。


三井晩鐘

三井寺(園城寺)の大門。別名「仁王門」は重要文化財。宝徳4年(1452)の建立で、もと甲賀郡常楽寺(西寺)に建てられ、のち伏見城に移され、さらに慶長6年(1601)、徳川家康によって三井寺に移された。

 

唐崎夜雨

 唐崎の松は花より朧にて(芭蕉)

 

堅田落雁

「近江八景」を知らなくても、単独で人気を博する「浮御堂」。源信(恵心)僧都が「千仏閣」「千体仏堂」として建てた。現在の浮御堂は昭和12年の再建。

 

比良暮雪 1

京都に雪の降った翌日、志賀を訪れた。

生憎の天候だったが、雲の切れ目を狙ってシャッターを切る。

 

比良暮雪2

浜大津から見た比良暮雪。

 

 

 

1. 瀟湘八景

瀟湘夜雨(しょうしょうやう)

平沙落雁(へいさらくがん)

烟寺晩鐘(えんじばんしょう)

山市晴嵐(さんしせいらん)

江天暮雪(こうてんぼせつ)

漁村夕照(ぎょそんせきしょう)

洞庭秋月(どうていしゅうげつ)

遠浦帰帆(おんぽきはん)

 

2. 近江八景

石山秋月(いしやまのしゅうげつ)

勢多(瀬田)夕照(せたのせきしょう)

粟津晴嵐(あわづのせいらん)

矢橋帰帆(やばせのきはん)

三井晩鐘(みいのばんしょう)

唐崎夜雨(からさきのやう)

堅田落雁(かたたのらくがん)

比良暮雪(ひらのぼせつ)

 

近江八景は「八景物」として、日本で最も初期に選定されたとされるが、異論もある。慶長期(15961615)の関白・近衛信尹(このえのぶただ)によって近江八景が成立したとされる。

天保5年(1834)頃、歌川広重は「東海道五十三次」が成功を収めた後を受けて、「近江八景」を世に出した。

 

 

石山秋月 (広重)

橋が増えている以外は、景観がそれほど変わっているようには見えない。都市開発により「江戸百景」がほぼ原型を留めていないことを思うと、感慨深い。

 

瀬田夕照 (広重)

勢多の唐橋とも書き、瀬田の長橋とも言われた。後楽園の失われた「長橋」もここに由来するのだろう。唐橋を現在の位置に移したのは織田信長だそうだ。

 

粟津晴嵐 (広重)

江戸時代、東海道にあった多くの黒松は失われ、現在は3本しかないという。晴嵐とは本来、山霞(かすみ)のことだが、晴れた日に強風で松の枝が揺さぶられているほうが分かりやすい。

 

粟津晴嵐 3

2本の松から南に100メートルほど行くと、3本目の黒松がある。先の2本の黒松と比較すると、かなり小さい。江戸時代の松ではなく、最近植えられたものだろう。右手奥を歩いているのが、「粟津」中学校の生徒。

 

矢橋帰帆 (広重)

 矢橋から船に乗り対岸に達すると東海道の近道になることから、古くから琵琶湖岸の港町として栄えた。

もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋 (宗長)


三井晩鐘 (広重)

日本三名鐘として、姿の平等院、銘の神護寺、音の三井寺と言われる。「日本三大○○」とはよく聞くが、いったい誰が決めているのか?

三井寺の門たたかばやけふの月 (芭蕉)

 

唐崎夜雨 (広重)

湖上から見た雨の一ツ松。外国人に人気の一枚だ。


堅田落雁(広重)

雁の落ちていく先に「浮御堂」が描かれている。

鎖(じょう)あけて月さし入れよ浮御堂(芭蕉)

芭蕉は湖南の連衆と舟で訪ねたようだ。

 

比良暮雪 (広重)

琵琶湖の西岸に連なる比良山系の雪景色。

当時は今より大分、雪が積もったようだ。

  

比良暮雪3

「うみのこ」越しに見た比良暮雪。

「うみのこ」は、映画"Mother Lake"でも登場予定。