かつて伏見城本丸と天守閣のあった場所から山を越えた西側・治部少丸の北に御花畠山荘があった。1964年、ここに遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」が建設され、園内に6億円をかけて鉄筋コンクリート構造の伏見城が再現された。2003年1月に閉園したが、模擬天守は伏見のシンボルとして保存されることになり、京都市に贈与された。耐震基準を満たしていないことから内部は非公開。

 

伏見廃城

 

伏見城がなぜ廃城になったか?一国一城令により二条城が残され、伏見城が廃城になったと説明されているが、私にはよくわからない。というか、納得がいかない。いずれ廃城の理由について私なりの見解をまとめたいと思っている。

 

JR桃山駅を降りて踏切を越えると杉並木の御陵参道が登坂で続く。途中桓武天皇陵への参道が左手に見えるが、まっすぐ進むとやがて視界が開けて明治天皇陵に出る。

このあたりは伏見城の本丸があったところで、明治天皇の墳丘のあたりに天守閣があった。

 

 

乃木神社へ続く坂道に茅葺の古民家がある。カメラの向いている方向が明治天皇陵で、坂道を登りきったところに乃木神社がある。

 

乃木神社神門。乃木希典の殉死に感動した神戸の村野山人が私財を投じて建立した。境内には乃木大将の幼年時代の旧宅モデルや日露戦争時の第三軍司令部の民家が移築された。

 

桓武天皇稜に向かう参道。伏見桃山城に向かう道でもある。参道の右手には治部少丸と内濠(治部池)の遺構がある。

 

伏見廃城で打ち捨てられた石材。矢穴の跡で築城のため切り出された石材であることが分かる。


明治天皇陵南斜面の眺望。山科川・宇治川の先に向島(むかいじま)が見える。秀吉の時代には巨椋池が広がっていたのだろう。

 


<追記>

一千一秒物語

 

題名はもちろん「千夜一夜物語」のパロディーである。これが稲垣足穂の処女作にして代表作となっている。

1970年代には著名な人だったが、最近は知らない人が多いようなので、補足しておく。

 乃木神社と桃山小学校の間の坂を下った京都府桃山婦人寮職員宿舎に10年ほど住んで、毎日のように明治天皇陵の参道に足を運んだと言われている。


 

 

かつて伏見に住んだ稲垣足穂(たるほ)はこの参道を好んで散策したと言う。

「森の間のアヴェニューを私は毎日一回、鴨長明の日野山を正面に見ながら、乃木神社の方に折れたり、またその方から出てきて西へ向かって下りて行ったりしている。此処には最初からアンリ・ルソーが好んで描いているパリの公園の連想があった……」

明治10年頃、明治天皇は陸軍大演習のついでに桃山城跡に立ち寄り「ここは良い。この森を買っておくが良いぞ」と言った。明治45年(1912730日、天皇の崩御に際してこの話が出て、陵墓に指定された。

  

坂道の右手に「桃山小学校通用門」がある。乃木神社に通ずるこの坂道を私は勝手に「乃木坂」と呼んでいる。

 

 

乃木神社から明治天皇陵に向かう参道。稲垣足穂の毎日の散歩コースだった。稲垣足穂は明治33年(1900)生まれ、昭和52年(1977)没。昭和35年(1960)頃、伏見区桃山に転居する。

 

明治天皇陵に続く参道。観光客も少なく、日当たりのよい山林は野鳥の宝庫になっている。


明治天皇陵。墳丘のあたりに伏見城の天守閣が建っていた。今では想像することが難しい。

 

JR桃山駅から明治天皇陵に向かう場合の参道入り口。今回の散歩コース(乃木坂から乃木神社を通り、明治天皇陵へ)は逆コースなので、散歩の終点になる。





土星が三つ出来た話(一千一秒物語より)

街角のバーに土星が飲みに来ると言うので、調べてみたらただの人間であった。その人間がどうして土星になったかというと、話に輪をかける癖があるからだと。そんなことに輪をかけて土星が来るなんて言った男の方が土星だと言ったら、そんなつまらない話に輪をかけて、しゃれたつもりの君こそ土星だと言われた。