浄土の庭 浄瑠璃寺

 

平泉の毛越寺、平の白水阿弥陀堂、金沢文庫の称名寺、日野の法界寺、宇治の平等院、そして当尾(とうの)の浄瑠璃寺……

これら浄土の庭に共通しているのは朝日、夕日が特に美しいという事だ。それには理由がある。

 

子供のころ読んだ本で、今も記憶に残る話。

「夕方、ふとした弾みに密林から出てきた豹は、平原に沈みゆく太陽をじっと見ていたという。」その時豹がどういう感情を抱いていたか、観察者には分からない。しかし、沈みゆく太陽をじっと見ていた豹には、人間と同じように「沈みゆく太陽に対する畏怖の念」がDNAに組み込まれていたとは考えられないだろうか?豹と人間の違いは、畏怖の念を形にするかどうかだ。日本人は沈みゆく太陽に対する畏怖の念を、浄土の庭として表現した。

 

浄土の庭は美しく、分かりやすい。

太陽の運行は人間の一生に似ている。朝日が昇るのは人間が生まれてくることを意味し、夕日が沈むのは人間の一生が終わることを暗喩する。人は毎日生き死にを繰り返す。

 

「毎朝日が昇ってくる東方には瑠璃光浄土という静かで清らかな世界があり、そこの主が薬師瑠璃光如来である。対する夕日の沈んでいく西方には極楽浄土という豊かで華やかで楽の極致といわれる世界がありそこの主が阿弥陀如来である。

薬師如来は遺送仏(けんそうぶつ)といい、阿弥陀如来は来迎仏(らいごうぶつ)という。その中間にある現世に出て、正しい未来へ向かって生きていく方法を教えてくれたのが釈迦如来である。その釈迦が現世から姿を消してしまい、正法(しょうぼう)から像法(ぞうぼう)という時代も過ぎて、その力の及ばぬ末法を迎えた時、東西の薬師、阿弥陀の両如来にすがると言うのは自然な形の信仰であったと思われる。」(浄瑠璃寺住職 佐伯快勝 2006年)

 

九体阿弥陀堂(国宝)。

ツアーバスが訪れる時を外せば、穏やかな浄土の庭が楽しめる。


三重塔(国宝)。

初層の内部には全面に壁画が描かれ、薬師如来像が安置されている。


中島の弁天祠に、ぬいぐるみが置かれているように見えるが……


宝池に張り出した中島の出島。

美しく、どこか毛越寺庭園を彷彿させる。


三重塔に近い園路で、三尊石組みを発見。いつの時代のものだろう。想像が膨らむ。

 

 

 

 

 浄瑠璃寺には国宝がいくつかあるが、中でも九体(くたい)阿弥陀堂と三重塔は特筆すべきであろう。

 

九体阿弥陀堂は嘉承2年(1107)の建築で、平安時代後期に流行した九体の阿弥陀仏を安置する現存唯一の建造物である。もとは檜皮葺の質素な建物だった。西方浄土の阿弥陀如来を礼拝するよう、東向きに建てられている。

 三重塔は治承2年(1178)、京の一条大宮より移築された。西の本堂と向き合うように小高い土地に建つ。塔初層の内部には全面に壁画が描かれ、薬師如来像が安置されている。


国宝は他に「木造阿弥陀如来坐像9躯」及び「木造四天王立像」。 

 

浄瑠璃寺は平安時代後期の藤原道長による法成寺・無量寿院に始まり、院政期にかけて京を中心におよそ三十三寺の建立史料が残る九体阿弥陀堂の唯一の遺構を持つ寺である。

 

東京シティガイド「都心山の手平日コース」の研修で、2013年に訪れた九品仏浄真寺のルーツはまさにこの浄瑠璃寺にある。

江戸のルーツは京にあり。

 

(追記)

浄土の庭の写真撮影は午前中が無難だ。夕方には九体阿弥陀堂は逆光になる。しかし、こういうアドバイスは浄土の庭の本質から目をそらすようで、本末転倒だろう。

 

<参考資料>

古寺巡礼「浄瑠璃寺」淡交社2006

 

 

 

 

 

極楽浄土への橋は、白水阿弥陀堂や称名寺のように木の反り橋が多い。室町期に石橋に付け替えられたかもしれない。


紅葉が進んでいる木もあるが、全体的にはまだ青紅葉が主流だった。

 

 

板目の汚れがそう見せていただけで、関係各位にはご迷惑をおかけしました。


別の角度から九体阿弥陀堂を見た。

極楽浄土だ。


紅葉のトンネルを抜けて帰路についた。


染めてけり紅葉の色の紅を しぐると見えし深山辺の里(西行)