北野天満宮の拝殿唐破風下の豪華絢爛な飾り彫刻。徳川三代将軍家光が日光東照宮を建て替えるときに参考にしたと言われる。

蟇股(かえるまた)のところに施された彫刻は、立った牛の姿で、境内唯一の立牛として「北野天満宮七不思議」の一つに数えられている。

 

 

梅と桜


梅と桜を語る時には、どうしても柳田国男先生の「日本人」を考えてしまう。

 

「日本の歴史を振り返ってみても、僕はいつもカラスとクジャクの寓話を思い出す。カラスがクジャクの羽を拾ってきて、くちばしに挟んで自分の羽のようなふりをする。これが日本の国柄であるのか……」(昭和29年「日本人」より)

 

戦後70年の節目に「吉本ばなな」の名前について一言。本人が意識して付けたかどうか分からないが、すごい名前だ。外見は黄色い皮を被っているが、中身は得体のしれない白いものが詰まっている。

 

柳田国男先生の寓話は今も続いている。戦後70年経って、戦前を知る日本人が少なくなった。あと10年もたてば戦前の教育を体験した人は誰もいなくなるだろう。戦後、国際化と言えば聞こえはいいが、アメリカ文化を摂取することが国策だった。戦前の学校では「模倣」と言うのは禁句で「摂取」と言ったそうだが、アメリカの「模倣70年」の成果か、今の日本では黄色い皮を被った得体のしれない白いものが詰まった「ばなな」ばかりが歩いている。私もその一人のようだが……

 

梅は咲くを楽しむ花 桜は散るを惜しむ花(後楽園の四季―梅花編より)

 

「日本人」の感性として当たり前であったものが、「ばなな」には理解されないようになってきている。言うまでもないことだが、梅は菅原道真が、桜は西行が「日本人」の感性を形作ったと言える、と思う。

当然とは言え、西行もまた「梅」の歌を詠んでいる。道真と並べてみる。

 

東風吹かば匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ(道真)

 

紅の色濃き梅を折る人の 袖には深き香やとまるらん(西行)

 

どちらも有名な和歌なので、好き嫌いはあるだろうが、私は道真の悲嘆より西行の色っぽい和歌に親近感を抱く。皆さんはどうだろう?

道真の和歌は欧米人には理解が難しいらしい。イギリスの童謡「マザーグース」の中に「人や獣に良くないのは東風……西風吹くのが最高さ!」とはっきり唄われている。日本とは逆の感性で、日本では西風が吹くと大陸から黄砂やPM2.5が運ばれてきて、健康に良くない。多分イギリスでは東風が大陸のいやな空気を運んでくるのだろう。

昔、日本では「虫ききの会」が盛んに行われていた。数は減ったが、江戸向島百花園など今でも秋になると「虫ききの会」が開かれている。

欧米人には評判がすこぶる悪く、「虫の声」はノイズとしてしか認識されないという。自然環境が日本人を造る一例だ。


北野天満宮の白梅。2015年2月3日撮影。パラパラと雨が……

 

  

番外編「梅」と「桜」……日本酒好きの人のために

 

「臥龍梅」という日本酒がスーパーで売っていた。スーパーで売るくらいメジャーなお酒なのだろう。家に帰って調べてみたら、銘柄に「梅」と「桜」を含む日本酒が意外に多いので吃驚した。

 

銘柄に「梅」を含む日本酒

寒梅、香梅、梅錦、白梅、寒紅梅、宮寒梅、七ツ梅、松竹梅、雪中梅、梅が枝、梅ヶ枝、梅一輪、梅美人、豊の梅、利休梅、ぶんご梅、羽前白梅、越生梅林、宰府寒梅、梅門若竹、美濃紅梅、耶馬寒梅、志ら梅(岐阜県)、志ら梅(宮城県)、伊賀の寒梅、赤城の寒梅、越後の寒梅、越後雪紅梅、梅ケ谷、相生乃梅、越路乃紅梅、越の寒中梅、越の初梅、三重の寒梅、雪中寒梅、臥龍梅、窓乃梅、梅乃宿、越乃寒梅、峰乃白梅、越乃梅里、つくばの紅梅一輪、加賀雪梅、龍梅(以上44銘柄)

 

 銘柄に「桜」を含む日本酒

 阿桜、旭桜、黄桜、寒桜、桜顔、桜生、小桜、薄桜、舞桜、鳳桜、越後桜、華姫桜、観音桜、吉野桜、久米桜、向井桜、桜羽前、桜吹雪、桜田門、三徳桜、四季桜、賜杯桜、深山桜、太平桜、日置桜、片野桜、誉小桜、やまと桜、羽前桜川、夙川舞桜、八千代桜、桜川(茨城県)、桜川(栃木県)、初桜(滋賀県)、初桜(石川県)、初桜(和歌山県)、同期の桜、桜うづまき、この花桜、御殿桜、美和桜、かっぱ桜、会津桜、九重桜、越乃日本桜、出羽桜、龍泉八重桜、谷桜、朝日桜(以上49銘柄)

 <追加>

 銘柄に「櫻」を含む日本酒

玉櫻、御代櫻、三つ櫻、三千櫻、小野櫻、正義櫻、櫻政宗、櫻芳烈、櫻一文字、櫻室町、倭櫻

 

初めて飲む「臥龍梅」。味のほうはいかがでしょうか?

 

 


梅の故郷は中国の雲南省や四川省、河北省にかけての山岳地帯。紀元前から揚子江以南では梅の栽培が進められていたという。日本には弥生時代、稲作文化と共に渡来したと言われる。西日本各地の弥生時代の遺跡から梅の木の破片や核(種子)が発見され、これを裏付けている。梅は当初薬用として渡来、梅が鑑賞の対象となったのは遣唐使が持ち帰った苗、種子を栽培してからと言われる。

 

春告草(はるつげくさ) 

梅の花は春到来を告げる花ごよみであった。暦のない時代、梅の花が咲くと稲作農家は農作業の準備を始めた。

 

臥龍梅(がりゅうばい)と光圀 

亀戸の梅屋敷「小梅荘(こばいそう)」にあった梅の名木。

今は碑のみ残る。「江戸砂子」享保17年(1732)には、「香りは蘭麝(らんじゃ)を欺き、花艶極めて白し。さかんなる時は闇を知らざるありさまなり。」

この梅屋敷の梅の名声を聞いた梅好きの光圀は、籠で乗り付け賞美。「臥龍梅」と命名したと言う。その後、8代将軍吉宗は、享保9(1724)、鷹狩の帰りに梅屋敷を訪ね、この臥龍梅を称え御用木とした。臥龍梅の宅地の主、嘉右衛門は毎年、実1000個を4籠に盛って献上したと言われる。(以上、後楽園の四季より)

 

光圀梅(後楽園)

黄門様の庭にふさわしい品種。平成20年植栽。早咲き一重小輪。花形は白色の弁先が尖って桔梗形でうけ咲き。がく片は光圀の名に恥じぬ白花の美形。結実して良果となる。なお、久能山東照宮に家康梅、水戸に烈公梅(9代斉昭)がある。花期は1月中旬から2月中旬。

 

農村では昔から地域共同体が生きていて、子育ては村の爺ばばが受け持っていた。祭礼などを通して礼儀作法も身に付き、自然に「日本人」に成れた。東京でも田舎の北区滝野川では、最近まで地域で子供を育てるのが普通だったと土地の爺ばばが言う。

しかし現在は「日本に生まれたからと言って日本人になれるわけではない。日本の自然と歴史に学ばなければ日本人にはなれない。」と言ったら過激だろうか?

 

柳田国男先生は次のように述べている。

「一般に人間が一個の人格を作り上げていく過程には四つの成分がある。この四つの成分とは自然環境、遺伝、社会的遺産、および集団(社会)である。」

 

どうも理屈っぽくなって面白くない。あと10年、梅と桜を楽しまなくては……

 

 

後楽園で最初に咲く梅の花「光圀」。2015年1月25日撮影。

 

 

 

 


 

 

 

 

「臥龍梅」について、Webサイトをご覧になった方から、うちのほうにも同じ名前の「梅」があるよとのご指摘があったので調べてみると、確かに「臥龍梅」は全国にあるようだ。なぜなのか、清酒「臥龍梅」を生産している静岡市清水区の「三和酒造」HPから探ってみる。

 

「臥龍梅」命名の謂れ

 「臥龍」という言葉は古く、その出典は中国四大奇書のひとつに数えられる長編歴史小説「三国志演義」であります。この小説は魏、蜀、呉、三国対立時代の中国を背景に英雄豪傑の活躍と運命を描いたもので、その書中、「劉備玄徳」が在野の賢人「諸葛孔明」を三顧の礼をもって自軍に迎え入れるくだりに「臥龍・鳳雛(ほうすう)」という言葉が出てまいります。

「臥龍」は寝ている龍。まだ雲雨を得ないため、天に昇れず地にひそみ隠れている龍のことで、転じて、まだ志を伸ばす機会を得ないで民間にひそみ隠れている英雄「諸葛孔明」の例えであります。ちなみに「鳳雛」とは鳳凰(ほうおう)のひなで、将来大人物になる素質を備えた少年の例えであります。

 

さて、処は我が国に移り、時代は下って戦国時代末期のことです。後に徳川幕府を開設した徳川家康は、幼少の一時期、今川家の人質として当社の近隣の「清見寺(せいけんじ)」という禅寺に暮らしていました。そしてその無聊の徒然に、寺の庭の一隅に一枝の梅を接ぎ木したと伝えられています。「諸葛孔明」の故事通り、「清見寺」にあったころの家康は地にひそみ隠れておりましたが、その後、龍が天に登るがごとく天下人となりました。

家康の植えた梅は300年の歳月を経て大木に成長し、今も毎年春3月には凛とした風情で花を咲かせております。さながら龍が臥したような見事な枝ぶりも相まってか、この梅はいつの頃からか「臥龍梅」と呼ばれるようになりました。当社では「臥龍」の故事に倣い、やがては天下の美酒と謳われることを願って、新しく発売するお酒を「臥龍梅」と命名いたしました。(以上「三和酒造」HPより)

 

三国志は江戸時代によく読まれたし、徳川家康を知らない武士はいないはずで、そんな超有名な「臥龍」にあやかって全国に「臥龍梅」が広がったのでしょう。

 

蟇股の立牛がよく見えないとのご指摘がありましたので、大きく写した写真を掲載します。身をよじっているとのことです。