雪の後楽園

 

雪の後楽園の写真がもっと見たいとリクエストをいただいたので、2014年の大雪の時のものを掲載する。


「わらぼっち」も雪の帽子を被っている。奥に見えるのは徳川三代(家康、秀忠、家光)に仕えた、江戸初期の儒学者林羅山が名付けた「小廬山」。深山幽谷の廬山の雰囲気はない。


雪吊りの施された松。松の根元には陽石が見える。子孫繁栄を願う大名庭園には「陰陽石」が付き物だが、岡山後楽園の陰陽石に比べて後楽園の物は、目立たないように配慮されている。


丸屋(まろや)。右手奥に蹲(つくばい)があるところを見ると、かつては御茶を供したと思われる。丸屋の中に黄門様の衣装と杖が見える。イベント期間中は来園者が自由にコスプレ出来る。


黄門様が明の学者「朱瞬水」に造らせた「円月橋」。積雪のため、木橋を渡ることができない。ちなみに「円月橋」は積雪がなくても通行禁止である。


蓬莱島と呼んだ場合、周りは海。竹生島と呼んだ場合、周りは琵琶湖に変貌する。赤い祠には弁財天が祀ってある。ちなみに弁財天はもともとインドの河の神様。


「唐門」を入ると曲がりくねった「延段」が出迎えてくれる。中山道(木曽路)を通って琵琶湖から京都を目指す旅が始まる。なお、「唐門」は昭和20年(1945)戦災で焼失した。


幣橋(ぬさばし)から撮影した大泉水。右手奥の屹立した大石が「徳大寺石」。徳大寺左兵衛は初期庭園作庭の責任者だ。手前に鴨がいるのでカメラを向けた。

 

 

 

 

20155月下旬に久しぶりに後楽園ガイドをする予定なので、次回は初夏の後楽園(後楽園八景)を掲載する。

 

林羅山は清水寺一帯の深山幽谷の山岳地帯を「小廬山」と名付けた。本来の「小廬山」は清水寺あたりの景色だろう。雪に隠れてコサギが餌を狙っていた。

 

「唐崎の一つ松」も雪吊りが施されている。琵琶湖に模した大泉水の奥に見えているのは、東京ドームと東京ドームホテル。江戸時代には同じ場所に水戸藩上屋敷が建っていた。

 

手前が「花菖蒲の田圃」で奥が「藤棚」。藤棚の右奥が文京シビックセンター(文京区役所)。藤棚の左奥の傾いた巨木が推定樹齢400年のカヤノキ。この年、6月の大雨で倒れてしまった。

 

寛永6年(1629)に神田上水(最初の江戸上水)を水戸藩邸に引き入れたことが「水戸紀年」に書かれている。この水を利用して庭園が造られた。左上の枝は倒れた巨木「カヤノキ」のものか。

 

東京ドームを借景とした水戸藩邸の内庭。江戸時代、招待された大名や奥方は内庭を通り、この橋(桁橋)を渡って左手の「唐門」から後楽園に入っていった。


延段を下ると琵琶湖(大泉水)に出る。正面に唐崎の一つ松が見える。右手の高い建物は中央大学校舎。借景では京都の庭園にはかなわない。京都1200年の都は歴史が違う。

 

雪に覆われた西行堂跡。京都まであと少しだ。

わりなしや氷る懸樋の水ゆえに 思い捨ててし春の待たるる(西行)