豊公伏見城の図(京都吉田地図桃山販売所提供)1597年頃

 

上図は左が北。江戸城を中心とした大名小路の地図をご覧になった方なら、似た地割にびっくりされるのではないだろうか。

右手の下島には徳川家康公御屋敷が伏見城とほぼ同じ規模で描かれており、家康の実力者ぶりが窺える。豊臣秀吉が長崎の出島のようなところに、家康を封じ込めたとの見方もできよう。

 

上図の右下に83番「脇坂中務(なかつかさ)」の下屋敷が見える。庶民に人気があったらしく、中国風に「ちゅうしょはん」と呼ばれていたので、このあたりを「中書島」と俗称するようになった。

 

左図は上が北。本丸の鬼門(東北)に黒田甲斐守(黒田官兵衛)のお屋敷が見える。また、裏鬼門(南西)には40番石田治部少輔(石田三成)のお屋敷が見える。大事な場所には頼りになる武将を当てている表れか?

三成屋敷の一軒空いた西に41番松平参河守(結城秀康・家康の次男)と徳川様御上屋敷が塀を接して並んでいるのも面白い。

 

 家康は人の世のはかなさをよく知っていたので、江戸城の鬼門には寛永寺を、裏鬼門には増上寺を当てた。それぞれの寺には歴代将軍が6人ずつ眠っている。