城南宮は平安遷都の際、都の南に国の守護神として城南神(国常立尊「くにのとこたちのみこと」八千矛神「やちほこのかみ」神功皇后「じんぐうこうごう」)をお祀りした。平安時代の末、この地に白河上皇によって城南離宮(鳥羽離宮)が造営されると一層崇められ、城南祭では流鏑馬や競馬(くらべうま)が行われた。

 

現代は、本殿での祭典の後、重さ1.5トン近くある三基の豪華な神輿の渡御が始まり、氏子区域を練り歩く。

 

慶応4年(1868)1月3日、この付近で起きた戦が「鳥羽伏見の戦い」の発端となった。城南宮には薩摩藩の野津鎮雄らが大砲を備えて布陣し、竹田街道を北上してきた幕府軍が小枝橋を渡ろうとするのを、薩摩藩兵が阻止して談判ののち、ついに薩摩側から発砲した。これが戊辰戦争の発端となった。

 

 



戊辰戦争の発端となった「小枝橋」は当時この先の鴨川に架かっていた。


2015年4月12日の「方除大祭」での奉納神楽。

猿退治の一幕。

 


仕事でニューヨークに行く娘に「方除け」お守りを購入。


鳥羽伏見戦跡碑。鳥羽殿の築山跡と考えられる「秋の山」(国指定史跡)。

薩摩藩の第一砲弾はここから小枝橋方面に発せられた。

 

同じく奉納神楽の「鵺(ぬえ)退治」の一幕。

鵺は「頭は猿、むくろは狸、尾は蛇、手足は虎の姿」という伝説の生き物で、伏見通信8「京都御苑の梅」でも紹介。

 

こちらがお守りの裏面か?月日星がちゃんと入っている。