東福寺方丈「南庭」

 

ミレーの庭

 

東福寺の名前は、東大寺と興福寺という奈良の二大寺から、一字ずつとってつけられていると、フランス男は面白そうに説明した。「お寺の中に、ナントカ・ミレーという人が造った庭があってね。その庭が、まるでモンドリアンの抽象画みたいなんですよ」(檀ふみ「東福寺散策」より)。

 

「植治(うえじ)の庭」を論じ、「重森三玲の庭」に触れないのは著しくバランスを欠くことになる。実は何度か「重森三玲の庭」について書こうとして挫折してきた。いままで「重森三玲」を避けてきたのは、その良さが良くわからないからである。と書くと身もふたもない。

 

4月5日、平日の午後に東福寺を訪れた。何度来たかわからないほど、東福寺には足繁く通っている。それでも分からないという感覚は変わらない。
混雑していると言うほどでもないが、観光客の波は途切れない。ふと観光客に外国人が多いことに気付いた。その時、外国人の眼を通して「ミレーの庭」を見たら、少しは書けるのではないかと思った。

 

「禅の庭」の基本は「無心」である。
鈴木大拙の著作に「無心ということ」というのがある。昭和25年(1950)に初版が出ているが、難解でよくわからない。
「自分の考えでは、この無心ということが、仏教思想の中心で、また東洋精神文化の枢軸をなしているものなのである」。

 

戦前の教育を受けた人にはすんなり理解できることも、戦後教育にどっぷりつかった世代には理解しにくいことがたくさんあるように感じている。「無心ということ」もまた、戦後教育を受けた世代には理解しがたいことなのではないか?
戦後教育は「木に竹を接ぐ」ような、ちぐはぐで脆弱な教育だったのではないか?というのが戦後70年たった感想である。

 

例えば、「個の確立」というのが、戦後教育の目標であるように言われている。
しかし、「個人」が「神」の対義語であることを知らない日本人が多いように思う。日本では「個人」に対応する概念として「集団」「社会」などを挙げる傾向があるが、はっきり言ってそれは間違いである。
英語では「個人」はindividualであり、「神」the Divine(God)に対応していることが言葉の上からも明らかである。
絶対的な神を持たない日本では「個人」は「集団」「社会」との関係で規定される相対的な存在であるのに対し、英語圏の国々では「個人」は絶対的な「神」の対義語として、また絶対的な存在に転化する。
つまり、「個の確立」は絶対的な「神」の存在があって初めて可能になる概念という事になる。

  

 

臥雲橋から新緑の通天橋を望む。

紅葉の頃は人で一杯なので、ゆっくり楽しむには新緑の頃がいい。

 

一番奥(東側)にある偃月橋。

橋を渡ると国宝の龍吟庵方丈がある(非公開)。

 

東福寺方丈「東庭」。

日本庭園に北斗七星を表したのは、重森三玲が初めてだろう。

 

東福寺方丈「南庭」。

「伏石」は龍の背にも見えるが、見立ては自由だ。

明治期唐門の代表作「恩賜門」が見えている。

 

「南庭」の西側に「五山」がある。

「京都五山」なら、「天龍寺」「相国寺」「建仁寺」「東福寺」「萬壽寺」を示すが、ここでは何を表しているのか?

 

東福寺方丈「西庭」。

「井田市松」と呼ばれ、北側「さつき」の刈込が印象的。

 

東福寺方丈「北庭」。

モンドリアンの抽象画とはこの庭のことだろう。

 

別の角度から見た「北庭」。

昭和14年(1939)作庭時に「他所から石を持ち込まない」という条件で、重森三玲が作庭した。石が不足して、苦労の末の傑作。

美は乱調にあり。

 

 

 

「キリスト教徒」や「イスラム教徒」でない日本人には「個の確立」は難しい。八百万の神々では、「個」を「神」に対応させたところで、どこまで行っても相対的な存在としての「個」という事になってしまう。
 

無理に「個の確立」を急ぐ必要はない。日本人は日本人らしく神々と共存していけばよい。外国の一神教に比べて脆弱な日本の神々は、人間とも境界が曖昧で優しい。
 

代表作「神々の国の首都」小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)1850年生まれ1904年没。ギリシャ生まれの日本人と言って良いだろう。
小泉八雲は、キリスト教の教義になじまず、苦しんだ末に日本の神々に安息の境地を感じて島根に住み、努力して日本人になろうとした。

戦後の教育を受けた人々は、彼のように努力して日本人になるしかないのだと思う。日本に生まれついても、日本人になることは難しい時代なのだ。


「神国とは、日本を尊んでいう時の別称である。この神々の住む尊い国の中でも、ひときわ尊いとされるのが、出雲の国である。この出雲へと、青い空なる高天原より、国生みの神伊邪那岐・伊邪那美命が下り、しばらく足をお留になった。」
(小泉八雲「杵築―日本最古の神社」より)

 

「心に刻むべき、きわめて重要なことがもう一つある―それは、日本の庭の美が分かるためには、石の美を理解しなければならない―少なくとも理解すべく努めなければならない、ということだ。石といっても、人間の手で切り出されたのではなく、自然の力だけで形作られた石なのだ。石に性格があり、石に色調、明暗がある、ということを感じる―それも痛切に感じるようになるまでは、日本の庭の芸術的な意味のすべてが、啓示されたとはいえない。外国人の場合、どんなに審美感覚が優れていても、この感じ方だけは努力して培っていかなければならない。」(小泉八雲「日本の庭で」より)
この文章の直後に「日本人には、生来、それが備わっている」と書かれているが、戦後70年経ってそれは失われているだろうから、日本人であっても、やはり外国人のように努力して培っていかなければならないと思う。

 

<参考資料>
東福寺(古寺巡礼京都3)淡交社(平成18年)2006年
無心ということ(鈴木大拙)大東出版社(昭和25年)1950年
神々の国の首都(小泉八雲)講談社学術文庫(平成2年)1990年

 

 

 

 

 

 

東福寺には西から「臥雲橋」「通天橋」「偃月橋(えんげつきょう)」の三つの橋が「三ノ橋川」に架かっている。写真は偃月橋。

 

龍吟庵。

ここまで来る人は大変少ない。

 

別角度から見た「東庭」。

ひしゃくの先に北極星を探してもない。なぜかは分からない。

 

別の角度から見た「南庭」。

「方丈」石組みと「恩賜門」が見えている。

白砂は「八海」とともに「無心」を表すらしい。

 

通天台から「通天橋」と「普門院」を望む。

昨年、「普門院庭園」を訪ねたが、良い庭園だった。

ここでは「普門院庭園」の詳細を割愛する。

 

別角度から見た「西庭」。右奥に通天橋が見えている。

さつきの咲いている時期にまた来たい。

 

「北庭」の一角は「ウマスギゴケ」が繁茂して「市松模様」を隠している。人と自然との在り方を考えさせられる。

 

「西庭」西唐門の近くに小さな三尊石組みがある。

見落としそうなくらいに目立たないが、「北斗七星」「五山」ときて「三尊石組み」。七五三は吉数と言われているが、どうもよく分からない。