吉野皇居跡の霞がかった「南朝妙法殿」。雨の中を4月8日撮影。
吉野桜
携帯電話のない時代というかもっと前、地方の学生が東京の大学を受験した時には大概「合格電報」を予約したものだ。合格発表を地方で待つ学生に有料で「合格」「不合格」を知らせるシステムで、合格の時には「サクラサク」不合格なら「サクラチル」と打電した。
「受験番号」を予め知らせておくのがこのシステムの最大の特徴だが、時々馬鹿な学生が自分の「受験番号」を間違って伝えるため、「合格」しているのに「サクラチル」と打電されて騒動が起こったらしい。
実は馬鹿な学生とは私のことである。
さて、「サクラチル」という歌を最初に頻繁に詠んだ先駆者が西行で、それまでの歌は大概「サクラサク」を詠んだようだ。
西行の業績の最大のものは「散るを惜しむ」という感覚を日本人の感性として定着させたことだろう。
吉野山谷へたなびく白雲は 峰のさくらの散るにやあるらん(山家集)
吉野山峯なる花はいずかたの 谷にか分きて散り積もるらん(山家集)
現代人にもイメージが湧きやすいというか、800年以上経っても日本人の感性が不変であることが嬉しい。
惜しまれぬ身だにも世にはあるものを あなあやにくの花の心や(山家集)
死んでも誰にも惜しまれないと言うのは大変つらいものだろう。他の人には、散ってゆく花の心はわからない。(自分だけは分かっている……)
荒井由実の「飛行機雲」昭和48年(1973)リリース
高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない
ほかの人にはわからない あまりにも若すぎたと
ただ思うだけ けれどしあわせ
大橋付近の眺め。
霧の立ち込めた「南朝妙法殿」。
山桜がソメイヨシノとは違った雰囲気で咲いている。
吉野山を降りて、又兵衛さくらを見る。
手前が黄桜(ウコン)で、奥がソメイヨシノ。
若くして亡くなった友への思いが800年の時を経て共振・共鳴している。若くして絶たれたその後の時間の永続性を思う時、西行は散り行く桜に、荒井由実ははかなく消えゆく飛行機雲に、他の人には分からない悲しみを託した。
桜の花が散った後に残された空に、また、はかなく消えた飛行機雲の跡の青空に「空になる心」が対応する。
西行が繰り返し詠った「空になる心」
空になる心は春の霞にて 世にあらじとも思い立つかな(山家集)
京都は盆地ゆえ、春の早朝には幻想的な霞が立ち、先が見えない。日が昇るにつれ徐々に霞は上昇し雲になっていく。東京では体感できない現象だが、京都に来て、西行の歌がどのように形成されて行ったか、その精神がいかに形成されたか、少し分かるような気がした。
憂き世にはとどめおかじと春風の 散らすは花を惜しむなりけり(山家集)
吉野山さくらにまがう白雲の 散りなんのちは晴れずもあらなん(山家集)
吉野桜を見れば、吉野桜にこだわりを見せる西行の心象風景が素直に理解できるのではないかと思い、初めて吉野に入った。吉野桜は山桜なので、全国的に主流のソメイヨシノとは違った風情があるが、写真でそれを表現するのは難しい。
4月8日は雨が時折強く降り、写真撮影には不向きな天候だった。雨の切れ目を狙ってシャッターを切った。
梢打つ雨にしおれて散る花の 惜しき心を何にたとえん(山家集)
西行の心象風景は、今もよく分からないままである。
翌日、伏見の清酒「黄桜」の由来となった「ウコン」が満開だったので併せて掲載する。
吉水神社からの一目千本。霞がかかって、幻想的。
帰る頃になって、一時的に雨が上がった。
曲がりくねった小道が、山桜によく合う。
又兵衛桜の全景。
黄桜とは言っても、緑色が特徴のウコン。後楽園にも何本かある。