化野念仏寺の紅葉
嵯峨の紅葉
15歳の頃、一人で初めてこの地を訪れ、かつてないほどの衝撃を受けた落柿舎(らくししゃ)と化野(あだしの)念仏寺を再訪した。
落柿舎は当時の雰囲気を残していたが、化野念仏寺は綺麗になりすぎて当時を思い出すのが困難だった。当時、「風葬」「鳥葬」という言葉を聞いたのも初めてで、無常という事を身をもって感じた。
徒然草に「化野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあわれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。」とあるように東の鳥辺野(とりべの)、北の蓮台野(れんだいや)とともに京の西の葬送の地で、古来「風葬」「鳥葬」が行われてきた。
化野念仏寺はおよそ千年前、空海がここに野ざらしとなっていた遺骸を埋葬したことに始まる。
誰とてもとまるべきかは化野の 草の葉ごとにすがる白露(西行)
西行の歌にもあるように「化野の露」は人生の無常の象徴として広く知られているが、西行の草庵がこの近くにあるとは当時は知らなかった。それも落柿舎のすぐ近くにあるとは。
向井去来は慶安4年(1651)長崎市後興善町(うしろこうぜんまち)に、儒医の向井元升の子として生まれた。俳号を「去来」という。
落柿舎の名前の由来は大概書かれているが、向井去来の名前の由来は多分どこにも書かれていない。「おむかいが来たら、この世を去ってあの世に参ります。南無阿弥陀仏(合掌)。」という意味で、もともとの姓「向井」にしゃれで俳号「去来」と名付けたのだろうと思っている。大変いい名前だと思うし、当時の人々にとって当たり前の考えなので、誰もが納得して、だから由来の説明が不要と判断されたのだろう。
落柿舎の名前の由来は、去来が書いた「落柿舎ノ記」にある。古い家の周囲に40本の柿の木があった。都から来た商人が一貫文を出して、庭の柿を買う契約をしたが、その夜、嵐のため一夜にしてすべての実が落ちてしまった。
契約が履行されたか、反故になったか気になるところだが、翌朝さきの商人来て、「…かくばかり落ちぬる柿を見ず。きのふの値かへしてくれたびてんやとわびぬ。いと便なければ(不憫なので)ゆるしやりぬ。この者の帰りに、友達のもとへ消息送るとて、自ら落柿舎の去来と書き始めける。」
50年ほど前に訪れた時には、夕方だったせいか、薄暗く霊気漂う感じがしたが、今回は明るく霊が立ち上る気配はない。
西行堂を建てるには、ぴったりの場所だが、多分自動車の駐車スペースになっているのだろう。
蓑と傘があるので、去来さんは御在宅の様子。
去来さん、お客さんですよ。
今の落柿舎は明治になって近くの弘源寺の旧捨庵が売却されようとしているのを地元の名士が買受けて再建した建物だという。
(注)現代人は金勘定が気になってしょうがない。
一貫文は1000文。江戸時代には960文を貫緡(かんざし)に纏め、一貫文として流通させていた。一文は今の貨幣価値で約25円。一貫文は約2万5千円というのが、幕府の公式見解。8代将軍吉宗は「米将軍」と言われたように、米本位の考え方の将軍で、「一石(米約150キログラム)を一両」とするお達しを出したので、経済が混乱したと言われている。江戸の初期から元禄時代までは、ほぼその通りなのだが、流通経済が発達する元禄以降、米相場は大きく変動し、固定相場制が経済の足を引っ張ることになる。
幕府の公式見解では一両は4000文で、現代の貨幣価値で約10万円。江戸中期には一両の貨幣価値は6万円くらいまで落ちていたかもしれない。
戦後日本の円も一ドル360円の固定相場が長く続き、今の100円~120円の変動相場制は考えられなかった。
向井去来は宝永元年(1704)9月10日、54歳で亡くなった。墓もすぐ近くにあるが、西行の草庵のすぐ近くでもある。去来が西行の草庵の近くに別荘「落柿舎」を持ったことは、偶然ではなく、意図的なことと思える。西行がそうであったように、去来も武芸に秀でていたが、若くして武士の身分を捨てている。西行に倣ってか、去来は師匠「芭蕉」のことは書いているが(去来抄など)、自身に関する記述は少ない。
なにごとぞ花見る人の長刀(なががたな)
蝸牛(かたつむり)たのもしげなき角(つの)振りて
たけの子や畠隣に悪太郎
100年ほど後に活躍する小林一茶を思わせる「しゃれ」と「あそびこころ」を持ち、誠実で実務能力に長けた人物だったようで、後の人々は去来を「西国三十三ケ国の俳諧奉行」とあだ名した。芭蕉の名声は多分に去来の「去来抄」に負うところが大きい。
落柿舎のすぐ北側に西行の草庵跡がある。ここなら「西行堂」にぴったりと思わせる場所があったので、写真に収めた。
落柿舎なので、背伸びして柿の実を入れて映した。
昔、こんな風景はどこでも見られた。
落柿舎の前は空き地になっていて、50年ほど前に初めて訪れた時と変わらぬたたずまいだった。
落柿舎の内部。
干し柿が吊るしてあるところが、臨場感を増す。
今にも去来さんが「ただいま」と帰ってきそうだ。
<追記>
「去来」の名の由来について、別の見解もあるようなので、追記する。
中国の詩人・陶淵明41歳の時、いよいよ役人人生が嫌になって田舎に引きこもる。その時「帰去来辞」を詠んでいる。
漢詩は難しいので、冒頭部分の現代語訳を上げる。
さあ、故郷に帰ろう。
田園は今や荒れ果てようとしている。
どうして帰らずにいられよう。
今までは生活のために心を押し殺してきたが、
もうくよくよしていられない。
向井去来の「去来」はこの詩に由来するという説で、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。