伏見は東山から連なる丘陵の最南端にあり、南に巨椋池が広がり水運により大阪と京都を結ぶ要衝の地であった。
伏見は昔「伏水」と書き、豊富な湧水を利用した造り酒屋が多く、今でも日本を代表する造り酒屋が軒を連ねている。
伏見が発展する契機になったのは1592年に遡る。
豊臣秀吉が文禄元年(1592)、宇治川に臨む「指月(しげつ)の岡」に別荘を造営し、その翌年、嫡子秀頼が誕生したことから、ここが本格的な築城に改められ、天守閣などの城郭施設が整えられた。
伏見城は3度築城されており、最初の城は指月伏見城と呼ばれる。しかし、指月伏見城は慶長元年(1596)閏7月の大地震により倒壊、近隣の木幡山(こはたやま)に場所が移され、新たに築城された。二番目の城は木幡山伏見城と呼ばれる。
指月城のあった「指月の岡」は現在、観月橋団地と近畿財務局桃山東合同宿舎があるあたりと思われる。見えている山並みは鴨長明の隠棲した日野山だろう。