城南宮は平安遷都の際、都の南に国の守護神として城南神(国常立尊「くにのとこたちのみこと」八千矛神「やちほこのかみ」神功皇后「じんぐうこうごう」)をお祀りした。平安時代の末、この地に白河上皇によって城南離宮(鳥羽離宮)が造営されると一層崇められ、城南祭では流鏑馬や競馬(くらべうま)が行われた。
現代は、本殿での祭典の後、重さ1.5トン近くある三基の豪華な神輿の渡御が始まり、氏子区域を練り歩く。
慶応4年(1868)1月3日、この付近で起きた戦が「鳥羽伏見の戦い」の発端となった。城南宮には薩摩藩の野津鎮雄らが大砲を備えて布陣し、竹田街道を北上してきた幕府軍が小枝橋を渡ろうとするのを、薩摩藩兵が阻止して談判ののち、ついに薩摩側から発砲した。これが戊辰戦争の発端となった。