光悦寺の紅葉
No rain no red leaves
(雨が降らなければ、錦秋の紅葉は見られない。)
科学的な根拠は分からないが、時雨が紅葉を一層鮮やかにするというのは平安時代以降の歌人の常識であったようだ。
もみぢ葉の散らでしぐれの日数経ば いかばかりなる色にはあらまし(西行)
和歌ばかりで面白くないとのご意見もあるようなので、最近のアーティストの歌詞も紹介しておく。
No rain no rainbow
(雨が降らなければ、七色の虹はかからない。)
あなたが選んだ答えは たぶん ひとつも間違いではなく
迷った 日々たちが 今日へ導いている
(岡村孝子「No rain no rainbow」2013年)
11月5日に京都国立博物館で「琳派特別展」を見て、改めて本阿弥光悦(1558~1637)の偉大さに触れ、翌日には鷹峯の光悦寺を訪れた。
寺伝の「光悦寺縁起」を要約すると次のようになる。
多分京都では最も早く紅葉するのが鷹峯一帯だろう。近所の源光庵は11月10日前後が見ごろ。
太陽が鷹峯三山(鷹ヶ峯、鷲ヶ峰、天ヶ峰)に沈もうとしている。
光悦さんのお墓の前で手を合わせ…
源光庵「悟りの窓」左と「迷いの窓」右。答えはたぶんひとつも間違いではなく 迷った日々…
源光庵も今年は紅葉が少し遅れているようだ。
鶴亀蓬莱の庭があり、こちらは亀石組み。
鷹峯を見渡すこのあたり一帯を、元和元年(1615)徳川家康が本阿弥光悦に野屋敷(約9万坪)として与えた。
光悦はそこに一族縁者をはじめ、種々の工芸にたずさわる多くの職人と共に住居を構え、工芸集落を営んだ。
ここで光悦は茶の湯をたしなみ、陶芸、漆芸の総合プロデューサーとして活躍した。光悦の没後、寺として日蓮宗光悦寺となり、今日に至っている。
今年は本阿弥光悦が京都洛北鷹峯に「光悦村」を開いて400年、そして尾形光琳の300回忌にあたる。
本阿弥光悦、俵屋宗達(生没年不詳)は琳派の創出者と言われている。
琳派は狩野派や土佐派のように師弟関係があるわけではなく、数十年から百年おきに画風を継承する名手が現れ、工芸や絵画の領域を超えて装飾性の高い傑作を生みだしてきた。
俵屋宗達は後年「本阿弥光悦と出会わなければ、私の人生は無駄なものに終わっていただろう」と回想している。
<参考資料>
「京都早起き案内」」麻生圭子(PHP研究所)2013年
「琳派400年記念祭イベントガイド」(琳派400年記念祭委員会)「光悦寺縁起」他
本家の「光悦垣」。
臥牛垣(がぎゅうがき)ともいう。
青い葉も残っているところがまたいい。赤色の一色だけは味気ない。
光悦寺を後にして、源光庵に向かう。
源光庵の燈籠だが、タクシーのガイドさんは伏見城から持ってきたと説明されていた??
どらとカイパン(木魚の原型)を見ると、無条件に嬉しくなってしまう。源光庵は曹洞宗のお寺だが、黄檗宗の影響がうかがわれる。