拝殿の唐破風の下部に「豪華絢爛」な桃山文化を偲ばせる飾り彫刻が施されている。寛永2年(1625)、紀州大納言頼宣の寄進とされる。
御香宮(ごこうのみや)神社
初めは「御諸神社」と称した。
神功皇后を主祭神とし、夫の仲哀天皇、子の応神天皇ほか六祭神を祀る。
神功皇后の神話における伝承から、安産の神として信仰を集める。
伝承によると、貞観4年(862)境内から良い香りの水が湧き出し、その水を飲むと病が治ったので、時の清和天皇から「御香宮」の名を賜ったという。この湧き出た水は「御香水」として名水100選に選定されている。
御香宮神社は秀吉・家康により遷宮が行われている。
「豊臣秀吉は文禄3年(1594)伏見城築城にあたり、城内鬼門除けの神としてここ(城の北東)に遷宮しました。秀吉の死後、家康が城下町の人心安定のため、再び元の地に戻したことから古御香(ふるごこう)と呼ばれ、今は御旅所になっています。」と御香宮御旅所についての説明(伏見区役所史料)がある。
しかし、疑問が残る。
第一に鬼門に神社を持ってきたければ、勧請して分祀するというのが一般的だ。そもそもの由緒である「御香水」を残して神社を壊し、新たに鬼門に祀るなど罰当たりと言える。江戸では「将門塚」を移そうとして何度も祟りが起こり、ことごとく失敗しているのが良い例だ。
第二に御香宮神社の跡地に小早川秀秋(「豊公伏見城の図」44番「金森法印」)の屋敷を当てている。戦国時代から「飲料水」を守るのに重臣を当てるのは常識だ。江戸では「神田上水」を作るに際し、本妙寺と吉祥寺をどけて水戸徳川家を入れている。「玉川上水」は江戸の入り口で高遠藩内藤家に守らせ、さらに時代は下るが「千川上水」は将軍綱吉の側用人・柳沢吉保に守らせた。秀吉の場合も「御香水」を守るために御香宮神社をどけて、小早川秀秋を当てたとみるのが妥当だろう。
伏見城の鬼門の守護神とした神社は「古御香宮」として現在も残っているが、鬼門除けとはならず、伏見城は完成後わずか3年で関ヶ原の戦いの前哨戦で焼け落ちている。御香宮神社の祟りじゃあ!!
と言う訳で、祟りを鎮めるため、「城下町の人心安定」のため、家康がもとに戻したとみる。
今日は御香宮神幸祭なので、硬い話はこのくらいにして、神幸祭の写真をふんだんにアップするつもりだ。その前に神幸祭について、おさらいしておこう。
神幸祭について
明治時代以前は旧暦9月9日即ち「重陽の節句」(菊の節句)に行われていたもので、伏見九郷(石井(いわい)・森・船津・即成就院・山・北尾・北内・久米・法安寺の各村)の鎮守の祭りであった。それ故に古来「伏見祭」とも称せられ、洛南随一の大祭として聞こえている。
神幸祭は一年に一度(今年10月12日)早朝より御香宮大神様が、氏子区域内を「御幸」(巡幸)される祭りである。
この祭りの特徴は前夜の宵宮祭で、お迎え提灯として、各町内より「花傘」が神社に多く参拝するのが有名で、別名「花傘まつり」とも称せられている。
「花傘」は室町時代の「風流(ふりゅう)笠」の伝統を今に伝えるもので、看聞御記応永28年(1412)9月9日の条に「風流笠四五本…風流笠不入門内。竹藪ヲ切開被入之」とある。この記録からも知られるように、当時から相当立派な傘が出ていた様子がうかがい知れる。
それが江戸時代には「風流燈籠練物」として発達してきた。そして現在、600年にわたる伝統の上に花傘が年々町内の人々の趣向を凝らした姿で祭礼に参加するのである。
花傘の総参宮日は祭りの初日(今年は10月4日)と8日目(今年は10月11日)の夕刻7時頃から9時頃まで、各町内より「アラウンヨイヨイ」「アラウントマカセ」の掛け声も勇ましく、伏見随一の繁華街大手筋(東京で言えば大手町)を上がって神社に参拝する。
神幸祭の中心は神輿渡御であり、旧神輿は徳川家康の孫娘(千姫)の初誕祝いに奉納された。通称「千姫神輿」は日本一重い神輿として氏子の自慢の一つであったが、余りにも重く、今は担がない。現在は境内見所に保管されており、祭礼期間中は見学ができる。(写真参照)
昭和37年、千姫神輿に代わって鵜鳥型と神明(雁又)型の二基を新調。昭和62年神輿一基を新調して渡御している。
この祭の9日間、境内には百数十件の露店が並び、昼夜を問わず参拝者の絶える間がなく、特に最後の2日間は多数の群集が参拝される。また、この期間は、氏子有志が数々の神賑行事を奉納している。
定番の金魚すくい。上手くすくえたかな?
こんなにカワ(・∀・)イイ!!キャラクターも出現。名前は分からない。
最近はこんな華やかな露店も出ているようだ。
慶長17年(1612)江戸に銀座が開かれる11年も前に慶長6年(1601)伏見に銀座が開かれていたことは余り知られていない。花傘は町内会(銀座四丁目、風呂屋町など)の他、団体企業やマンション単位でもOKのようだ。ちなみに今日は「ハイム伏見桃山」の花傘も見た。
「伏見祭」の期間中、家々には「御神燈」「献燈」などと書かれた提灯が下げられ、祭りの雰囲気を盛り上げるのに一役買っている。
この神輿は慶長2年(1597)9月徳川秀忠公から長女千姫(豊臣秀頼の室。元和3年・本田忠刻再嫁)初誕生の御祝いの意で御香宮に寄進されたもので、「千姫神輿」と言われている。
重さ2250キログラム(600貫)長さ5.1メートル 高さ3.5メートル
神門前での勇壮な男神輿。
この門は元和8年(1622)、水戸中納言頼房が寄進したとされている。
御香宮神社の由来となった御香水。これも外せないポイントでした。